【生涯更新中】遺書であり、自己紹介であり、貴方の役に立つかもしれない私の全て

皆さん、こんにちは。
このページを見てくれてありがとうございます。
このページはタイトル通りで、私の遺書であり、自己紹介であり、貴方の役に立つかもしれない情報が入っている、私の全てを記載しています。
生涯かけて更新していくので完成するのは私が死ぬときであり、前回見てくれた時と、現在載っている情報が変わっていることもあります。

とても生きにくい苦しい世の中、貴方はどのようにして今を生きていますか?
成功と失敗の繰り返し、波のある人生の中で少しでもよりよく生きていくためのヒントが見つかったら嬉しい、けれどもこれは私の人生の全てであり、必ずしも有用な情報が載っているわけではないことにご注意ください。

また、私の知っている人がこの記事を見つけて私を特定できたら素直に謝ります。
ごめんなさい、ですがこれが私です。
直接話をしてみいいですし、温かく見守っていただいても良いです。

難しい言葉はあまり知らないので、自分の知っている言葉でまとめます。
冗長なことも多いかと思いますが、温かい目で読んでいただきたいです。
以降はである調に統一します。

幼少期(幼稚園まで)の記憶

幼少期の私について記憶に残っていることを書く。
私の家族は、父、母、妹が2人の5人家族である。
幼少期の記憶というのは、曖昧なものですが覚えていること、印象的だったことをまとめたいと思う。
今となっては家族それぞれのバイアスによって他が歪んで見えていたと解釈しても良いが、父は怖い存在、母は優しい存在というイメージを持っていた。


父は危なっかしい人間で、小さい頃はよく車に乗せてもらって時速100~180kmくらいで走っていた記憶がある。
また台風が近いときは積極的に海に行って荒れているのをみたり、車で水たまりの上をびしゃーって走るのが楽しかった。
前後の車が何か父の気に障ることをすればクラクションを鳴らしたり、赤信号点灯時に降りて相手方の車に向かってあるって行き、喧嘩をしたり怒鳴ったり、と問題といえば問題行動ばかりしていた。

幼稚園のお泊まり会前夜にカレーの練習をしたところ、母親の説明を受ける前に爪をピーラーで剥いでしまって非常に痛い思いをした。
お湯で切れた部分を消毒したり、医者から縫ってもらったが、めちゃくちゃ痛かった。
しかし、この経験で父も母も頼れる存在であることを確信した。


幼稚園では高校で再開するかっちゃんと仲良くなった。
私は父の影響でドラゴンボールが好きだったが、かっちゃんはマリオが好きであった。
幼稚園の帰りのバスでは前にある背もたれの上部分がマリオごっこのステージとなり、かっちゃんが敵役、自分がマリオで突き進む手遊びをしていた。
いつもボスステージに行くと永遠に終わらないハチャメチャな戦いになるのであった。

同時期、なるせくんという近所の友達と遊んだが、当時流行っていた仮面ライダーのキャラクターカードを盗んでしまった。
厳密には、なるせくんがしまい忘れたカードが私のバッグの上に乗っており、その事実を知っていながらもなるせくんには伝えなかったのだ。
その後父親とばったり会ってしまい、カードを後ろに隠す。
うまく誤魔化したが、その後なるせくんは引越し、返すことができず、虚しくなった。
このように、私は生まれつき、手つきが悪く、一方で誤魔化したり、隠したりすることが得意であったのかもしれない。
相手の視線や態度に注意をはらった生活をしていた。

幼稚園の時の素敵?な話がある。
ゆうという女の子が男の子からイジメられていたことがあり、私は男の子にいじめるなと言ったらしい。
あまりにも曖昧な記憶だが、卒園後に保護者を通して、ゆうという子が自分のことを好きでいたことを知る。
ゆうという子には高校で再会する。

私自身、お姉さんと言える人には鼻の下を伸ばすむっつりグセがあった。幼稚園の頃、熱を出して寝込んだ時期がある。
当時高校生か大学くらいだったと思うが親戚のかなちゃんという人に母親に代わって添い寝をしてもらったが、寝ながら鼻血を出していたらしい。
ちょっと高い声で私の名前を呼んでくれる女性がいたら照れながらくっつくような癖があった。

だったが私は病弱だったが痛みには強く、点滴等で泣くことはなかった。
病院に行くたびに点滴を受けていたと思うが、壁紙に貼られていたアンパンマンが勇気をくれて泣かないようになったと思う。

砂場遊びが好きで、小さな崖を作り車のおもちゃを走らせ、崖から落とすのが好きだった。
事故を起こしたり、超常現象が好きだったことからだと思う。

母方の祖父に幼稚園に送ってもらうことが一時期あったが、毎回毎回食べさせてくれる菓子パンや黒飴が好きだった。
何を言っているかよく分からないことが多く、それでも幼稚園に迎えに来てくれた時の安堵は大きく頼もしかった。
そもそも車に置いていかれたり、留守番したりすると、もう帰ってこないのではないかという心配症があり、泣いたりするような子供であった。

小学校の記憶

1年生

かいぴー、ともやくんという同い年が近所にいて毎朝学校に一緒に行っていた。
どうやって知り合ったかは覚えていないが、歩道についているボタンのようなものを踏んだら負け、とったゲームをして登校することが多かった。

習字を習い始めた。
かすみちゃんという女の子が同い年で同じ小学校だったが、1年生ながら私の好きな女の子だった。
目がくりくりして習字の習い事のときはすごく近づいて来た記憶がある。
しかし、1年生は2組あり、私は1、かすみちゃんは2であったため、ちょっと残念だった。

そろばんも習い始めた。
ここで知り合ったのがともやくんだった記憶。
計算が得意になり、算数が得意になった理由でもある。
ともやくんはポケモンが好きで自分は2年生で始めたが、その後彼はすぐ転校。
あまり記憶がないが、怒ったり喧嘩すると顔が真っ赤になる感情豊かな人だったと思う。

担任の先生はまこと先生だったと記憶している。
夏休みには国語の教科書の一つのお話を毎日読むこと、という宿題を出されたが「ねことねっこ」という極端に短いところだけを毎日読み、言われたことはちゃんとやってるからずるじゃない、と言っていた。
しかし、家庭訪問の際に、母親がねことねっこしか読まない、と先生に言ったらしく、少し不満を思ったが、何より先生に怒られないかという心配があった。
怒られたり、悪いことをするというのが苦手だがやってしまった場合は最後まで隠し通したいという性格だと思っている。

夏休みの宿題で自由研究があったが学校が始まると全員発表しなくてはならなかった。
なぜか夏休み前は自由研究のやる気いっぱいだったがすっぽり忘れており、発表当日になってその存在を思い出す。
しかし、その時間みんなが発表している間に自由帳を手で切り取り、その1枚に自宅周りの地図を書き、周辺で見つけた虫の絵を描くということで自由研究を発表までに完成させた記憶がある。
冷や汗をかいたが怒られないために最後まであきらめない?姿勢を持っているようだ。

1年生の最後の記憶に、書き初めがあった。
習字をやっていたからコンクールに選ばれ、その期間は放課後先生と居残り、硬筆を仕上げる時間を送った。
さらという女の子も選ばれており、見た目は可愛いがかいぴいが女軍団とよんでいたグループにいて、怖いイメージだった。
居残りが終わると誠先生、さら、私の3人で手をつないで帰っていた。
これが先生との一番の思い出のように思う。
コンクールは金賞を取ることができた。

初めて物心がついたときに父親が暴れた年でもある。
いつだったか忘れたが母親が父親に何が言ったのだろう、イラッとした父が母に対して船に乗って稼いでこい、という話を聞いてしまったのをなんとなく覚えている。
その後私含めた子どもたちは2階で、1階で父と母が話している、といっても父が一方的に怒鳴っているだけのもの。
長男として妹達に大丈夫と言いながらプレイステーションをしていたが、不安と恐怖でいっぱいになって布団に吐いてしまった。
その後、父が2階に上がってきて、私の吐いたものを見て私をぶったのを今も鮮明に覚えている。
その後母も上に上がって皆で気づけば寝ていたのだが、父は何度も私のいるベッドの柵を拳で突いて、がくがく涙を流しながらベッドの軋む音も出さないように動かないように寝るよう頑張った。
翌日は普通に学校だったが、まず、2階にあったものは階段から1階にめがけてつきおとされており、めちゃくちゃだったのを覚えている。
少し片付けをした上で学校に行ったが、母のことが心配で授業をまともに受けられなかった。
今この瞬間にも母が何処かに行ったり殺されてしまうのではないか、といった心配が大きかったが帰ってみるといつも通りで、夜は父親も元通りになっていた。
仲直りというか、落ち着いたのかな、と安堵でいっぱいだった。

冬になると縄跳び期間というのがあり、朝の会が終わった後全校生徒が校庭に集まり、縄跳び検定みたいなものが行われた。
10級からスタートして1 級まで縄跳びをするが、一度でも引っかかったら座らないといけないものである。
1年生の中では一番縄跳び検定が長く続き、私は3級まで進むことができた。
3級は二重跳びを含んだものである。
因みに2級はあや二重跳び、1級では交差二重跳びがメニューに入っている。

2年生

まこと先生から担任はおばちゃんのみかこ先生に変わった。
厳しかったまこと先生とは対照的にゆるゆるな先生だった。
初日、私は声をかけられ、今年も書き初め期待していますからね、と言われたのを覚えている。

新しいクラスになり、1年生のころ気になっていたかすみちゃんと同じクラスになったのは嬉しかった。

中学校の記憶

高校の記憶

大学の記憶

大学院の記憶

会社員時代の記憶

無職の記憶

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